コスタリカでの野球指導から、巨人のアカデミーコーチの仕事へ! 海外協力隊から始まった「スポーツの仕事」
2020年03月02日 インタビュー その他 Written by 管理者
東京オリンピック・パラリンピックが目前に迫り、ますます注目を集めているスポーツ界。スポーツの仕事に携わりたいと考えている人は世の中に数多くいます。しかしスポーツ業界は狭き門といわれ、なかなかその職に就くことは難しくもあります。
読売ジャイアンツのアカデミーでコーチの仕事をしている加藤直樹さん。もともと野球の指導などしたことのなかった彼が、なぜプロ野球随一の人気を誇るジャイアンツでコーチの職に就くことができたのか? そのきっかけは、海外での国際協力活動を行っている独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員への参加でした。
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[PROFILE]
氏名:加藤直樹(かとう・なおき)
出身:福島県
年齢:34歳(1985年7月1日生まれ)
性別:男性
派遣国:コスタリカ
派遣時期/期間:春隊員/2013年7月〜2015年11月(2年5カ月)
*配属先からの要望を受けて、活動期間を5カ月延長
使用言語:スペイン語
■サラリーマンだった加藤さんがコスタリカに行った理由とは?
――加藤さんがコスタリカの2年間で、海外協力隊員として与えられた役割、ミッションは何ですか?
加藤 コスタリカからの要請書に書かれていたことは、12~14歳のコスタリカ代表チームの指導、国際大会の引率(監督)の仕事と、野球の底辺を拡大する普及活動の仕事でした。日本式野球の教育的な部分を取り入れた、青少年の健全育成に貢献することがミッションでした。
――コスタリカでは野球に力を入れているのですか?
加藤 コスタリカはサッカーの国で野球には力を入れていません。しかし野球ボランティアの歴史は古く、1980年頃に初代の野球隊員が派遣されて以降継続的に派遣されていたため、協力隊員の受け入れ態勢はしっかりしていました。仕事としてはやりやすかったです。
――コスタリカには1人で派遣されたのですか?
加藤 日本語を指導する女性の隊員と2人で派遣されていました。
――一番初めに青年海外協力隊へ参加しようと思ったきっかけは何ですか?
加藤 大学生の時に海外に行って国際協力やボランティアをすることがなんとなくカッコいいと思っていました。ただ、国際協力という意味で自分に何ができるかはまったく分かりませんでした。ある時、アフリカで野球を指導した友成(晋也)さんが書かれた『アフリカと白球』(文芸社)という本に出会い、野球で国際協力ができるんだと分かりました。その時にまったく別物だと思っていたスポーツと国際協力が自分の中で初めてつながり、興味を持ちました。そしてJICAの海外協力隊で野球指導の職種があると知り、これはぜひ行ってみたいと具体的に思ったことが最初のきっかけです。
――友成さんが書かれた『アフリカと白球」』という本の中には、海外協力隊の具体的な活動内容が書かれていたのですか?
加藤 その本は海外協力隊の話ではなかったのですが、友成さんのプロフィール欄にJICA職員として働いていることが書かれてあることで興味を持ち、“JICAと野球”や“野球とボランティア”などでインターネットで調べていくうちに海外協力隊で野球の隊員を募集していることを知り、これだったら自分でもできそうだなと感じました。『アフリカと白球』を読んで、スポーツで国際協力することは素晴らしいと感銘を受けました。
――加藤さんは大学を卒業して最初にミズノに就職しましたが、そこからJICA海外協力隊に至るまでの経緯を教えてください。
加藤 ミズノでは2年間働いていました。ミズノ在籍時に野球を通して海外につながりたいと思っていました。2年目に、ルーマニアへ野球隊員として派遣された方が中途採用で入社され、自分の隣の部署に配属されてきました。その方とお話をしていくうちに野球のボランティアに行きたいという思いが強くなっていったのが大きなきっかけとなりました。ですがミズノの仕事を中途半端でやめることはしたくなかったので、自分で納得できるところまではミズノで頑張ろうと考えていました。そしてミズノでの大きな仕事が終わって自分なりの達成感を得たときに、次のステップに挑戦したいと思い青年海外協力隊に応募しました。
海外協力隊の最終選考まで進んだ時点でミズノに退職の意向を伝えました。自分としては、新卒社員がたった2年間でやりたいことがあるから退職するというのは失礼なことで、会社側にはなかなか理解されないだろうと思っていました。しかし、上司や周りの方へ海外協力隊への応募のことを伝えると非常に応援していただきました。そのことは自分としても全く想像していませんでした。最終選考には落ちてしまうという結果になり、ミズノもそのまま退職することになりましたが、応援してくれた人のためにも、受かるまで頑張らなければと思うようになりました。
退職後は次回の選考に挑戦するまでアルバイト生活をしていましたが、多忙な日々で生活が乱れてしまっていました。そのような状況の中で東日本大震災が起こりました。その時に、こんな生活をしていたら前に進めないなと感じ、いったん地元の福島に戻ることを決意しました。海外に目を向けてばかりではなく、地に足をつけるためにも自分の地元をなんとかしたいと思い、南相馬市での1カ月のボランティアを経て、福島市役所の契約職員になり除染などを行っていました。
ただ、やはり海外協力隊に行きたいという思いもありました。海外へ行ったときのことを考えると、自分は子どもたちに野球の指導をした経験がありませんでした。野球の指導について学んでおく必要があると考えていたときにスポーツデータバンクさんの募集を見て、野球の指導を学ぶためにJBS(ジュニアバッティングスクール)のアルバイトを始め、中学校、小学校の野球指導をしていました。生活はとても忙しかったですが、ちょっとずつできることを始めていき4回目の応募でJICA海外協力隊に合格できました。
――2回目、3回目の応募ではどこまで進んだのですか?
加藤 2回目は実技試験があったのですが、そのとき肩を壊していたので通りませんでした。3回目はスポーツの募集はなくスポーツ以外で応募しましたが、モチベーションが低かったせいか書類で落ちてしまいました。
■海外協力隊に参加して大きく変化した2つの価値観
――大学時代からスポーツでの国際協力に興味を持ったとのことでしたが、いつごろから海外志向が芽生え始めたのですか?
加藤 小学校くらいからなんとなく考えていました。母子家庭で育ったのですが、発展途上国の情報を見聞きしているうちに、母子家庭の自分よりももっと大変なんだなと思っていました。中学生の時に、国境なき医師団が講演に来て、こういう仕事をやってみたいなということをおぼろげに思っていました。ただ、その時はスポーツと国際協力とは全くつながっていませんでした。
――言葉や文化の違いなど海外に行ったときに感じたことはありましたか?
加藤 小学校の時は全校生徒200名ほど、中学校は800名ほどの環境で育ち、高校(福島)、大学(神奈川)と一歩一歩違う世界で新鮮な気持ちになっていました。なので、大学時代に初めての海外旅行でイタリアに行ったときに“世界ってすごいなぁ”と感じ自分の考え方などが広がっていったので、海外に対する怖さはありませんでした。
――派遣中のJICAのサポート体制について教えてください。
加藤 選考に合格後、国内で派遣前訓練が70日間あります。私の時は春募集といって一番合格者が多い時期で、合宿先の訓練所に200名ほどが集まって訓練を行いました。基本的には学生生活と同じで規則正しい生活になります。具体的には、6時に起床してラジオ体操、散歩などをして語学訓練に入ります。午後になると海外で危険に遭わないためにというテーマの講義、異文化理解のトピックの講座があります。これを月曜から土曜まで受けました。これは素晴らしい仕組みだと思いました。自分にとって特に財産になったのは、200名と一緒に同じ期間を過ごしため、高校時代の3年間と同じくらいの濃い人間関係がつくられたことです。これはなかなか社会人になって得られない体験だと思います。しかも同期でも年齢や職種が違うさまざまな人たちが集まっているため、それがとても魅力的に感じました。海外協力隊を志望してくる人たちは、海外で貢献したいという善意にあふれている人が多いため、会話の中でやりたいことを語っても“否定”する人はおらず、希望に満ちあふれている人が多く、自分ももっとチャレンジしたいという気持ちが湧き出てきました。
――前向きな意見が飛び交うのは良いですね!
加藤 これが海外協力隊の最大の魅力だと私は思います。できない理由を探すよりも、どうしたらできるのかという前向きな議論ができるのが良いところです。どこの会社でもそうだと思いますが、分かっていても否定から入りがちになってしまいます。でもここでは肯定から入っていきます。海外から帰ってきた今でもつながる人間関係ができました。
――海外協力隊に参加する前と参加している最中、参加後と、それぞれで考え方は変わりましたか?
加藤 はい、大きく2つほど変わりました。
1つ目は、海外協力隊に行くにあたって、私は現地に「困っている人がいるから行かないといけない」「何かしてあげなければいけない」と考えていました。その背景として、お金がある人は幸せだ、お金がないと幸せじゃないと考えていたことがあります。ですが、経済的豊かさと幸せはイコールではないと感じるようになりました。野球の活動で地方に回っていると、馬で移動している人や裸足で走り回っている子どもたちが普通にいるような場所もありましたが、彼らが不幸そうには見えませんでした。野球でバットを振って、楽しそうにしていました。一方、道具が全てそろえられる日本の子どもたちは監督に怒られたりすることもありますよね。どちらが幸せかと考えると、裸足で走り回っている子どもたちの方が幸せかもしれないですよね。このように幸せと豊かさに対してのイメージが変わりました。
2つ目は、スポーツで海外協力隊に行く人の中には、会社に籍を置いている人や専門的な技術を持っている人もいて、その人たちは海外での活動経験がそのまま仕事につながっていると感じていました。しかし私のように会社を退職してから海外でスポーツ指導をしている人間は、日本に戻ってきてから何の役に立つのか、プラスになるのかと悩んでいました。それがキャリアになるのかを不安に思っていました。
ですが、野球の活動するにあたって言葉を覚えないといけない、チラシを作らないといけない、小学校にも営業に回ったり、子どもたちと一緒に物を作り、販売をしてお金を稼ぐ。グラウンドへの行き来のためにバスを出してほしいと市役所へ話をしに行ったりと、野球以外にもやることがたくさんあり、実務能力を培うことができました。そこをアピールできれば、ものすごいキャリアになると思いました。一般企業でもやるような企画力・提案力などがつくと思います。
――現地では一緒に活動する方はいたのでしょうか?
加藤 現地人の同僚(カウンターパート)の方がいます。国によってはカウンターパートの方が忙しすぎて何もやってくれないこともありますが、逆に時間があるとマンツーマンでサポートしてくれる場合もあります。私の場合は最初の2カ月間は土日一緒に小学校を回っていただきました。
――派遣国で活動する前に現地で研修などはあったのでしょうか?
加藤 語学研修を1カ月間しました。その間カウンターパートと活動する内容について話をしていました。
――活動時は現地の言語だけで行っていたのでしょうか?
加藤 カウンターパートがついているときはいいのですが、一人の場合もありました。その場合一人で言葉が通じない中、現地の子どもたち30人ぐらいを相手に何をしていいのか混乱してしまうケースもありました。そこを何とか乗り切ることができたことで、帰国後も困難に陥ったときでもメンタル的に乗り切れる自信がつきました。
――現地の方から学んだことはありますか?
加藤 海外に行ったらあくまでも自分が外国人だという認識になりました。当初は教えに行くという気持ちが強く、自分が正しくて自分の文化をまねしてもらわなければならないという感覚だったので、自分は外国人なんだなという認識に至るまでには時間がかかりました。
例えば、毎週日曜日に試合をしていましたが、ある日家族の誕生日で休んだ子がいました。自分の感覚では、誕生日で試合を休むなんてありえないと当初は理解できませんでした。後にコスタリカでは何よりも家族優先であることを知ったときに、自分は外国人なんだと理解できました。異文化間では、行為だけ見て判断してはいけないことを学びました。また、コスタリカは褒める文化で、子どもに対して叱らない文化なんだなと感じました。日本の感覚で厳しくすることはここでは受け入れられないことも学びました。
■ジャイアンツとの関係はコスタリカに持っていった一冊の本から始まった
――現在読売ジャイアンツのアカデミーでコーチをしているとのことですが、コスタリカから帰国後どんな経緯で就職されたのですか?
加藤 きっかけは、『ホップステップジャイアンツ!』(中央公論新社)というジャイアンツが制作した本を私がコスタリカに持っていっていたことから始まります。現地のカウンターパートから、「君の将来のために、ここでの成果として記録や物を残すことが大切だ」とアドバイスを受けました。そこで私は、『ホップステップジャイアンツ!』を日本語からスペイン語に翻訳しました。なぜかというと、コスタリカなどの中南米の国には子どもが手に取って読める野球の本が売っていませんでした。いまではインターネットで野球の技術も調べることができますが、親にとっても子どもにとっても手に取って見られるテキストがあるのは非常に良いということでした。英語訳版はあったのですが、スペイン語版がなかったので私が翻訳しました。その際にジャイアンツ側に著作権等の相談をしていくうちにつながりができました。翻訳完了後、コスタリカで指導者講習会を開催して、現地の指導者を招待して翻訳した本を配ったときにはジャイアンツアカデミーの講師の方を招待し、コスタリカに来て指導してもらいました。そのご縁から帰国後ジャイアンツアカデミーで仕事をすることになりました。
――『ホップステップジャイアンツ!』はコスタリカに行く際に買っていったものなのでしょうか?
加藤 コスタリカに行く前にジャイアンツアカデミーの講習会に参加し、そこで購入しました。日本の野球界には手順を追って指導するガイドブック的なものはありませんでした。個々の指導者の感覚で行われていた指導を段階的にできるように書かれた本が『ホップステップジャイアンツ!』です。コスタリカの指導者も教え方が分からない方が多かったのでこの本は役に立ちました。
――ジャイアンツ側にとってもかなりうれしい話ですね。
加藤 当時のジャイアンツは海外にあまり目を向けていませんでしたが、このことがきっかけでJICAと業務提携し、ジャイアンツアカデミーのコーチがいろいろな国へ派遣されるようになりました。
――海外協力隊での経験で、今の仕事に役立っていることは何ですか?
加藤 言語が学べたことと、こういう表現が正しいか分かりませんが、ストレスフリーになりました。良い意味で物事を楽観的に捉えられるようになりました。発展途上国へ行くと物事がうまくいかないことが日常茶飯事だったので、今ではトラブルが起きても慌てずに対処できる切り替え力などの新しい力が身に付きました。
――加藤さんとしては、どんな思いを持った人が海外協力隊の参加対象となると考えていますか?
加藤 個人的に思うのは、海外に行ってみたいと思う方はもちろんですが、将来に悩んでいる方や現状に満足していない方にぜひ行ってもらいたいですね。海外を想像していない人が行くと強いインパクトを受けると思います。そうすることによって自分が悩んでいたことに関して違う見方ができて、一気に視野が広がると思います。
――海外協力隊の魅力は何ですか?
加藤 お金の面でいいますと、国内積立金の制度で帰国後の社会復帰の準備資金が貯金できます。なおかつ2年間語学が勉強でき、実務的な能力も身に付けることができます。もちろんつらいこともありますが、得るものは非常に大きいと思います。
スポーツの仕事をしたいと考えるにあたって、なかなか選択肢にあがってこないJICA海外協力隊。だが、見知らぬ土地でまったく新しいチャレンジに身を投じることは、その後、スポーツ界でキャリアを積むにしても、別の業界でキャリアを歩むにしても、大きな力を身に付けることができるだろう。
現在JICAでは、3月30日まで2020年春募集を受付中だ。興味を持った方は、ぜひ一度、応募してみてはいかがだろうか?
【募集について】
もっと知りたい!JICA海外協力隊
▼詳細はこちら▼
https://www.jica.go.jp/volunteer/lp/kento/
【了】
取材=スポーツデータバンクコーチングサービス株式会社
<関連サイト>
●東京2020に向けたJICA海外協力隊×スポーツの取り組み
https://www.jica.go.jp/volunteer/sports/
●体育隊員とは?
https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/job_info/physical_education/
●スポーツ隊員とは?
https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/job_info/sports/
●過去、職種別説明会 体育・スポーツ篇
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